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2012年07月01日

尖閣諸島問題

今回は当ブログの趣旨とはややかけ離れた記事であることを、あらかじめお断りしておきます。


いま、最果ての小島、石垣島が揺れている。それは表題にあるとおり、『尖閣諸島問題』だ。

尖閣諸島問題とは日中、日台間での領土問題であり、排他的経済水域問題であり、石油資源の掘削権利問題であり、領有権に関する外交問題である。
領土問題は他にもロシアとの北方領土問題、韓国との竹島問題等が存在するが、こと尖閣問題に関しての昨今の動きは激しさを増している。

以前より度重なる中国漁船による不法操業及び、中国人民解放軍の艦船による海洋調査。それらの動きを受けて2010年に勃発した『尖閣諸島中国漁船衝突事件』。そして、現在世間を賑わせている石原都知事の尖閣諸島購入表明。
尖閣諸島中国漁船衝突事件などは事件時、保安庁巡視船『みずき』の乗組員の一人がうちの店のお客さんであったりして、とても対岸の火事とは思えない事件であった。

そんな中、石垣島には日々数多くの記者、ジャーナリスト、有志の活動家等が来島している。
そのうちの一人、一水会の代表『木村三浩』氏の講演会が、昨日ホテルミヤヒラ2F梯梧の間にて開催された。

一水会の代表木村三浩氏とは、かつては、昭和のフィクサー児玉誉士夫が結成した日本青年社の一員として尖閣諸島に上陸、灯台を建設した人物であり、月間レコンキスタの発行人であり、石垣市長中山義隆氏が石原慎太郎都知事と都庁で会談した際に同席した人物であり、昨今は田原総一郎氏等が司会を勤める多くのTV番組にコメンテーターとして出演する、右傾化した現代を羽ばたく新右翼団体の雄「一水会」の代表であり、超大物政治活動家であり文化人だ。

少し前置きが長くなったが、平たく言えば、単純にテレビ番組で幾度も観て見解に傾倒した有名人がこの島で公演を行うということで、私も友人とともに出かけてきました。
日々雑用に追われる私は不遜にも当日10分ほど遅刻してしまい、会場に到着した時点では既に講話が始まっていたのですが、その内容はというと、やはりとても濃いものでした。

日米安保問題、普天間基地、オスプレイ配備の問題、終戦を境にした日本の変化、一水会創設の原点ともいえる故三島由紀夫の話、イラク戦争の舞台裏etc。
特に、戦後日本を痛烈に批判、自衛隊のみが日本を救えるのだと自衛隊市ヶ谷駐屯地にて演説後、当時まだ25歳だった故森田必勝とともに割腹自決(木村代表は自裁と表現)した三島由紀夫の話。
自らが代表を務める「風の会」を虱(しらみ)の会と揶揄されたことへの謝罪を求め、朝日新聞本社へ出向き、首脳陣らの煮え切らない態度に「これが男の責任の取り方だ」と拳銃二挺で自決した故野村秋介の話などは、明らかに私の琴線に触れたものとなりました。

結局、本題であったはずの尖閣諸島問題に関しては、木村代表自身は今回の石原東京都知事と中山石垣市長と会談を成立させた影の立役者であるはずにも関わらず、多くは触れずに終了。二時間の持ち時間はあっという間に過ぎてしまいました。

最後、質問タイムに入り、まず地元の年配の方が「現代マスコミの信憑性」について質問。次に私が当日の談話にはなかった「天皇制」に関しての見解を質問。
木村代表からは天皇制ではなく国体と表現すること、男系天皇の存続、旧宮家の復帰を希望していること、憲法に国家元首との表現をすべきなのか、また、故三島由紀夫も指摘していた天皇に関しての条文である憲法第一条(天皇は国民総意)と第二条(皇位は世襲)との矛盾点などの回答を頂きました。

至って月並みなのかもしれませんが、前回、同じく尖閣諸島問題で来島したフォトジャーナリスト、山本皓一氏の講演会の時と同様、口先、建前だけでなく最前線でリアルに行動している活動家というのは、やはり言葉の重みが違うのと感じました。
山本氏の語った石原慎太郎氏が尖閣諸島購入に至るまでの裏話には感銘を受け、同時に石原氏への畏敬の念を忌避できせんでしたが、今回の木村代表からも肌に直伝する心意気、壇上への昇降時に欠かさない日の丸への敬礼、公演後の名刺交換、握手時に至っては、私は年甲斐もなく鳥肌が立ってしまいました。
公演途中には、一般的なダーティーなタイプの(街宣車で企業恐喝するような)右翼団体と、木村代表をはじめとする新右翼と呼ばれる方々との根源的なスタンスの差異を質問項目のひとつに挙げていた自身に、終了後は若干辟易したほどでした。
それほど木村代表の気概に打たれ、講演前に自身が固持していた観念の愚鈍さを知りました。

話は変わりますが、昨年、インターネット上にとあるブラックジョークが流れました。

『海図にない島に故障した船が漂着した。ドイツ人は故障をどう直すか研究を始め、フランス人とイタリア人は島に女性が潜んでいないか、うきうきしながら探しに行った。
日本人は漂着後にどうすべきか日本の本社に問い合わせる通信手段を探し始め、中国人はこの島の領有権を主張し始めた・・』

僻論を承知の上で言及すれば、私は相手がそれほど欲しがっているのであれば、尖閣諸島など中国にくれてやっていいものだと考えています。領有権も制空権も制海権も漁業権も海底資源の開発権利も全て、好きにさせてしまえばいいと思います。
その上で、隣国の国家として一切の中国製品の不買及び、国交の永久断絶をしてしまえばいいのだと思います。

人に例えれば当たり前の話ですが、材料が盗品である加工製品を既知に購入することなど良識に反するわけですし、そんな人間と誰がまっとうに付き合えるのかというだけのことです。増して、盗まれたのが自身の畑であれば論外であるはず。
日本国民として、道理を違えたものは『いやだ』とはっきり態度に表明する。そんな姿勢でいいと思います。かつて、マイアミからたった200kmしか離れていないキューバが、覇権国アメリカに対して『ノー』だと言ったように。

現在では齢80歳を越え病気療養中のキューバのフィデル・カストロ議長ですが、以前10年ほど前に一度、広島の原爆慰霊碑を訪れ、献花し、原爆資料館にも立ち寄ったことがあります。
その時、チェ・ゲバラとともに革命を起こし、キューバ危機を乗り越え、現在に至るまでアメリカから悪の枢軸国扱いを受け、経済封鎖をされているフィデルが広島で何を語ったのか。
何も語らなかった。社交辞令程度の言質のみで終了。それが答えです。

私は国家元首たるものはそういうものでいいのだと思う。
フィデルが大戦中アメリカに原爆投下された、現代日本の広島を訪れた。それだけで、彼が何を言いたいのかは言わずもがなに感じ取れる。それこそが国家元首たるものであり、それに追随するのが国民なのだと私は羨望する。
そして、私は日本の国家元首たる天皇を誇りに思う。


この島にいて熱くなれる瞬間などほんの僅かなのだと思う。もしかしたら、それを回避するために私はこの島に移り住んでいるのかもしれない。
この時代に、この島で、この島国に国籍を持つ一員として、私は自身を裏切らない、自身を信頼する誰かを裏切らない、次世代を担う子供たちを裏切らない、そんな矜持を保持してこれから先も生きていきたい。少なくとも、それらを忘れずにいたい。そんな思いを再確認した、昨日はそんな日でした。

尖閣諸島問題はこれからも石垣島を、日本を、中国を、アメリカを騒がしていくのだと思います。
みなさんも、少しでも気が向けば、たまには領土問題を一考してみてはどうかと思います。

本日、木村代表は夕方18時40分の便で帰路に着きました(空港まで見送りしました)。
今回の講演会に誘ってくれた友人のユウキ君、主催した一水会沖縄支局長の平田さんと公志会の石垣さん。そして、一水会代表の木村三浩氏との邂逅に心よりの御礼を申し上げ、再会を願います。

一水会公式HP
http://www.issuikai.jp/

尖閣諸島問題(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%96%E9%96%A3%E8%AB%B8%E5%B3%B6%E5%95%8F%E9%A1%8C

日の丸を背に立つ、一水会木村三浩代表
尖閣諸島問題

記念撮影に浮かれる、体調不良気味の私と木村代表
尖閣諸島問題








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Posted by バーコージ at 23:53│Comments(1)番外編
この記事へのコメント
楠皇動隊の時までは児玉誉士夫先生傘下にいたが、昭和44年に日本青年社にした時にはその影響下にあらず。書くなら本当の事を書いて下さい。44年の日本青年社の発会式に出席していた者より
Posted by 群馬の小島 at 2013年12月08日 19:34
 
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